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時子ばあちゃんの 85Blog

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お引越し

長らくご愛顧いただきました「時子ばあちゃんの85BLOG」
いかがでしたか?
スタイルを変えて、再び時子ばあちゃんや田舎の暮らしをお届けします。

お引越し先は↓
「ハナコと田舎暮らし」

引き続きよろしくお願いします!お引越し_f0018963_16441537.jpg

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# by kanashuyuma | 2007-12-02 21:49 | ヒミツのこぼれ話

やまびこで心豊かに

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下手な横好きとは私にぴったり。ですが文章を書くのが好きな私です。
幸いに日本海新聞「やまびこ」欄に時々投稿し、たいして没も無く掲載して
いただく。そのお蔭で年賀状のやりとり、文通等々。中には達筆な方もあり、
字の下手な私は恥ずかしい思いもしていますが、これまで多くの勉強を
させていただきました。
隣家に住む次男の嫁が「やまびこ」に掲載された私の文章やら、
町の高齢者教室の文集等を積重ねているのをみてインターネットへ。
いろいろと自分の所見も入れて、友人知人などに見てもらったらしく、
とある人からは手づくりのケーキを頂いたり喜びの声を聞いたりしています。
ある時、岐阜に住む長男の嫁から電話での用件の後、
この文章を知人に見て貰ったら、その人曰く
「たっぷり2時間読ませてもらったが、貴方が定年後帰省の人生は安泰だよ。
この義妹に、この姑では。と言ってくれた」と喜んでいた。
私、嫁二人の三者の絆はより深く、今まで以上に結ばれた心地でありました。
そして、日本海新聞「やまびこ」にも感謝です。
その昔、私の姑が長男の嫁に「私ら夫婦のことをどうかよろしく頼む」と
言っていたことを思い出し、私にはまだ孫の嫁はなし、嫁同士仲良く暮らして
欲しいと願うばかりです。
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勉強をしたくとも進学できなかった子ども時代。昔のこと。
時代を恨むことも無く両親に愚痴を言うでも無く、
ただ、謙虚にまっ直ぐに生きてきた。
そんな生き様をつれづれに「日本海新聞の「やまびこ欄」や
高齢者教室の文集に投稿してきていた時子ばあちゃん。
沢山の本を読み、新聞から学び、友人とともに高齢者教室で学び
多くの栄養を吸収してきた時子ばあちゃん。
のんベンだらりと、気ままに生きている私たちの気付薬となればと、
時々のハナコの感想なども織り交ぜて80本、
「時子ばあちゃんの85BLOG」として綴ってきたのでした。

最後に 時子ばあちゃんの言葉を添えて・・・・
「現在 年齢を重ね80年を振り返れば
無学のために思わぬところで壁にぶつかったり
戸惑ったり、人並についていこうと思えば
何倍も努力しなければならない。
孫達に私は言っている。
学問技術を習得したことはは身についた財産である。
努力し 辛抱し そして頑張れよと。」

# by kanashuyuma | 2007-01-08 20:48 | おっせかいこぼれ話

渡る世間に仏あり

渡る世間に仏あり_f0018963_17272038.jpg












賑やかだったお正月休みも終わり、子供たちは再び自分の場所へ。
長女は春には新社会人、長男は予定通りにいけば大学へ。
末娘は、中学3年生と家族の形も様変わりする。

そんな子ども達に、時子ばあちゃんから届いたメッセージ。
いつも、気に掛けてくれてありがとう!
以下は、つれづれに話していたことなどを時子ばあちゃんが記したもの。
これまでの3年間の思いと感謝が溢れている。
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 孫は中部に住みながら西部の高校を目指すとは!西を向いても東を見ても、
知る人のいないところへ行くんだよ、覚悟しているかと私。しているよと孫。
では、おばあちゃんの愚言を一言。「真実の道を歩むこと。
人も自分も大切に。そして頑張れよ。」私の贈る言葉でした。
 孫が5年生の時、鮭の飼育に取り組み、天神川へ放流。
4年後の中学3年生の秋に同じ場所で鮭との対面が行われた。
これらは山陰放送から放映された。以来縁があって、
番組を担当された方には、学校の保証人になっていただいたり
下宿等の行き届いたお世話をしていただいた。
 受験当日、3月上旬。この日は雪混じり風も加わった寒い朝であった。
ゆとりをもって家を出た都合であったが、西へ行くほど雪風が強まり定刻
まではと懸念し、母校へと電話。
さらに母校より高校へ連絡を入れていただき、
お蔭で玄関先には先生の出迎えをうけ試験教室へ。
席について2分と立たぬうちに試験開始。
幸いに合格をいただき希望の学校へと巣立っていきました。
 何時頃からか、週に何度かお弁当を作って頂いている話を聞きました。
世の中には奇特な方がおられるのだなぁと思っておりました。
とうとう3年間もの間続けていただいた由。
立場を替えて考えた時、私だったら果たして全うできたろうかを考えさせられました。
境港のお父様、お母様、そして友達のK君。本当にありがとうございました。
家庭の味、おふくろの味、友人の親切。
身体いっぱいに味わった3年間だったと思います。
弁当を作ってくださったお母様、また運んでくれたK君。
学びの本、部活の道具、弁当二つ、帰りには空の弁当箱まで
運び続けてくださった親切には唯唯頭が下がります。
私も舅、主人、義妹、子ども、孫と弁当作り続けて半生期、
とよく言っていますが、すべて身内のもの。
この頃の世相は、死に追いやるまでいじめている若者も多々
ある中に、私は申し上げたい。
「渡る世間に仏あり」と。
K君も次のステップに向って頑張ってください。祈っております。渡る世間に仏あり_f0018963_1821720.jpg
# by kanashuyuma | 2007-01-07 18:02 | おっせかいこぼれ話

松岸寺元住職 老師を偲ぶ

●平成13年11月19日 日本海新聞「散歩道」より
時子ばあちゃん 80才の時

モクセイの香りもいつしか失せて、野に山つわぶきの花が真っ盛りのころ。
10月16日、北条の松岸寺住職老師の訃報を知りました。
謹んでご冥福をお祈り申しあげます。今頃は極楽浄土の王座の椅子に座り、
笑顔で説教をしておられることと思います。
私には仏教のことも、檀家でもないので寺のことはわかりません。
が、若かりし頃は布教師として説教(講演)等に励んでおられたことと思います。
晩年は町の中央公民館の館長として社会教育等に専念されておられました。
他町村に例を見ない活動の一環に、私たち講座生として館長、主事、職員の
方とともに学び励んだことが懐かしく夢のように思い出されます。
自我を捨て、他に施す仏の心。
また温厚篤実で誰にでも平等に接する和尚には尊敬と好意を皆が寄せておりました。

小学校6年間机を並べて学び育った私たち。
学友とは計り知れない深い絆に結ばれています。
和尚は、童顔の美少年。成績、行いともに優秀で生徒一同の羨望の的でした。
青年団時代の初めての同窓会は、松岸寺本堂の間で開いたのをはじめ、
その後の同窓会の幹事役を一手に引き受け、温泉行きバスの発着場所も
松岸寺で、同級生一同の根拠地でもありました。
その後、衰弱されている様子でしたが、また元気を取り戻されておりました。
ちょうど三年前。私も通院することなり、K病院内科へ。
和尚もそこへ通院されておりました。
待合室でも出会いが始まったのです。
同じ主治医、同じ時間、ほぼ同じ症状。お互いに主治医を信頼し
病状やら近況やら励ましあいながら、何分か、何十分かを話し、
過ごしておりました。

去る9月頃より姿が見えない。どうしてかと思ううちに、入院されている話を聞き、
お見舞いにと思う矢先に旅立たれたことが残念でたまりません。
生ある者の宿命かと思えど・・・。
葬儀では、金襴緞子の飾られた中に元気な和尚の温厚な写真、そして
棺が門をそろそろと出て行きました。手を合わせ、黙祷し、しばらく顔があがりませんでした。

どうぞ、安らかにおねむりください。合掌。
生前のご厚情ありがとうございました。
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松岸寺元住職 老師を偲ぶ_f0018963_20154177.jpg

「生涯学道進一歩」と記した年賀状の主は、この老師さま。
生涯学びの友が得られた時子ばあちゃんは 幸せだ。
その志を胸に秘めて真摯に生きる姿を ハナコの子供たちは 見てきた。
そして、いつも子どもたちにかけてくれる言葉がある。

「がんばれよ。励めよ。これしかおばあちゃんは教えてやれるものはない。」
# by kanashuyuma | 2006-12-14 20:44 | おっせかいこぼれ話

胸にこだまする賀状


年賀状の そろそろ準備を始めておられる頃。
ハナコも 年賀状リストの
整理をしなくちゃならない。
個人用とだんな用と
仕事用と3種類あるから大変。
いつも 年末31日までかかって 
書き上げるお粗末さ。

●平成7年1月29日 日本海新聞「やまびこ」より
時子ばあちゃん 73歳の頃。

正月早々にいただく賀状は友情を厚くし、人と人との絆をますます
深めてゆく。特に添え書きのあるものはうれしいもので、表を見、
浦を眺めて喜んだり感激したり。私もなるべく添え書きをするよう
心している。
特に心惹きつける今年の賀状は、布教に当たっておられるある
老師さまからのものである。「やまびこ」欄がきっかけで毎年、賀状を
いただいており、私も差し上げている。いつも一言こころ打つものがあって、
ありがたく楽しく読ませていただく。
「謹賀新年 『元旦や生涯学道進一歩』 
佛紀 二千五百六拾壱年(平成七年)元旦
本年もよろしくお願い申し上げます」


とあった。二度三度読み返した。何かしら胸にこだまするのを覚えた。
約十年ほど前、久しぶりに父の病床を見舞った折り、
枕もとに二、三冊の雑誌が置いてあった。一冊手に取り、めくっていると
ポツリと父が一言二言「おまえもなぁ、死ぬまで勉強せーよー。
一日一日を大切になぁ。怠ったらきりがないよ。」と諭した。
その後一ヶ月あまりで他界した父。今静かにめい想にふけると
父の顔が浮かび、また、元気な老師様のお顔と重なったりする。

「生涯学道進一歩」「励めよ、怠けるな」
いつまでもこの余韻は心から消えることはなく、私は励む。
後退より半歩でも進み、長寿でありたいためにも。
豊かで幸せな昨今であるが、半面、道徳心の薄れ行く現世を
人のため、世のために布教に当たられる老師様の健康とご多幸を
お祈りしてやまない。
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来年も 心温まる賀状が届くにちがいない。
しかし、年々 その数も少なくなり 
喪中の知らせが増えるばかり。
どうぞ、出来る限り長生きしてください。  
# by kanashuyuma | 2006-12-11 20:48 | おっせかいこぼれ話