●平成13年11月19日 日本海新聞「散歩道」より
時子ばあちゃん 80才の時
モクセイの香りもいつしか失せて、野に山
につわぶきの花が真っ盛りのころ。
10月16日、北条の松岸寺住職老師の訃報を知りました。
謹んでご冥福をお祈り申しあげます。今頃は極楽浄土の王座の椅子に座り、
笑顔で説教をしておられることと思います。
私には仏教のことも、檀家でもないので寺のことはわかりません。
が、若かりし頃は布教師として説教(講演)等に励んでおられたことと思います。
晩年は町の中央公民館の館長として社会教育等に専念されておられました。
他町村に例を見ない活動の一環に、私たち講座生として館長、主事、職員の
方とともに学び励んだことが懐かしく夢のように思い出されます。
自我を捨て、他に施す仏の心。
また温厚篤実で誰にでも平等に接する和尚には尊敬と好意を皆が寄せておりました。
小学校6年間机を並べて学び育った私たち。
学友とは計り知れない深い絆に結ばれています。
和尚は、童顔の美少年。成績、行いともに優秀で生徒一同の羨望の的でした。
青年団時代の初めての同窓会は、松岸寺本堂の間で開いたのをはじめ、
その後の同窓会の幹事役を一手に引き受け、温泉行きバスの発着場所も
松岸寺で、同級生一同の根拠地でもありました。
その後、衰弱されている様子でしたが、また元気を取り戻されておりました。
ちょうど三年前。私も通院することなり、K病院内科へ。
和尚もそこへ通院されておりました。
待合室でも出会いが始まったのです。
同じ主治医、同じ時間、ほぼ同じ症状。お互いに主治医を信頼し
病状やら近況やら励ましあいながら、何分か、何十分かを話し、
過ごしておりました。
去る9月頃より姿が見えない。どうしてかと思ううちに、入院されている話を聞き、
お見舞いにと思う矢先に旅立たれたことが残念でたまりません。
生ある者の宿命かと思えど・・・。
葬儀では、金襴緞子の飾られた中に元気な和尚の温厚な写真、そして
棺が門をそろそろと出て行きました。手を合わせ、黙祷し、しばらく顔があがりませんでした。
どうぞ、安らかにおねむりください。合掌。
生前のご厚情ありがとうございました。
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「生涯学道進一歩」と記した年賀状の主は、この老師さま。
生涯学びの友が得られた時子ばあちゃんは 幸せだ。
その志を胸に秘めて真摯に生きる姿を ハナコの子供たちは 見てきた。
そして、いつも子どもたちにかけてくれる言葉がある。
「がんばれよ。励めよ。これしかおばあちゃんは教えてやれるものはない。」